クラブの歴史

History

日本を代表するゴルフ場を

袖ヶ浦コースクラブハウス

 1958年、当時千葉市長の宮内三朗は「京葉工業地帯として発展してきた千葉に見合ったレクリエーション施設や観光施設、ホテルが充実してこそ真の発展」と増田正二(当時旭建設社長)に思いを打ち明けた。増田はこの思いを受け止め袖ヶ浦カンツリークラブの開発計画が大きく動き出していった。

 しかし情熱だけでは一流コースは出来ぬと協力を求めたのが千葉県出身の安西正夫(当時昭和電工社長)であった。情熱と実行力の増田と、信用力の安西という名コンビによって袖ヶ浦カンツリークラブは開場へ推進されていくこととなる。

 1959年の6月からスタートした用地買収は、同年の暮れまでという短期間でほぼ完了した。そして、10月から測量が開始され間をおかず造成工事に入り、コース造成5ヵ月、ハウス建設7ヵ月で完工した。ここに『豪華に配するに野趣を忘れず。清爽に点ずるに枯淡を以てする』と称するに相応しい袖ヶ浦カンツリークラブが誕生した。

開場式に秩父宮妃殿下がご臨場

秩父宮妃殿下ご臨場のもと
開催された開場式

 自然を生かした雄大なスケールと各ホールに特色を盛り込んだコースを目標に計画された袖ヶ浦は驚異的なスピードで建設され、昭和35年(1960年)11月1日秩父宮妃殿下のご臨席を賜り開場式を挙行した。多くの来場者・関係者の見守る中、理事長安西の始球式のボールは力強いライナーとなって蒼空に吸い込まれていった。

「袖ヶ浦」の名称の由来

しめ縄をかざった「御神木」の三本杉

 増田はなぜ、「袖ヶ浦」と命名したのであろうか。袖ヶ浦コース・新袖コース共に千葉市に立地し袖ヶ浦市に位置していないのに何故袖ヶ浦か。今となってはその真意は定かではないが、「古事記」に、「日本武尊が走水(東京湾)を渡る際に大時化に遭ったことから、妃の弟橘媛おとたちばなひめが海神の怒りを鎮めるために海中に身を投じ、幾日かして、その妃の袖が海岸に流れ着いた」という伝説が記されていることから、内房地域周辺を袖ヶ浦と呼ぶようになったようである。

 当クラブは、このように歴史ある呼称を冠することで、格調高く国際的なコースとしての発展を誓ったのであった。

新袖コース開場

新袖コースクラブハウス

 袖ヶ浦コースがオープンして間もない1964年のこと、増田のもとに幾人かのシニア会員から、「距離が長くアップダウンも多いので、プレーがきつすぎる」という意見が寄せられた。これに応えるというより趣の異なるコースが2つあることは良いということで、理事会に於いて新袖コース建設が決定。翌1965年11月に新袖コースが開場した。新しいので新と名付けたが既に55年以上の歴史が刻まれた。

 袖ヶ浦コースは設計家和泉一介氏によるものだが、新袖コースはクラブのコース委員長石井泰助が中心となって設計した手作りコースである。会員からはむしろ新袖コースの方が難易度は高いとの評判もある。

(袖ヶ浦の歴史を詳しく知りたい方はクラブ50年史を御覧いただくか事務局にお問合せ下さい)

多くのトーナメントを開催

1974年ブリヂストン・ゴルフ・
トーナメント案内

 袖ヶ浦カンツリークラブは開場以来多くのトーナメントを開催してきた。

 1966年袖ヶ浦コースで開催した日本オープンでは当クラブ所属の佐藤精一プロが公式戦初優勝した。1973年新袖コースで国内初開催された全米女子プロゴルフ協会公式競技『LPGAジャパンクラシック』(現TOTOジャパンクラシック)では、アメリカの賞金ランキング20位以内の女子プロが大挙して来日し、多くのギャラリーが詰めかけた。その中でジャン・フェラリスプロと樋口久子プロのプレーオフの末、ジャン・フェラリスプロが優勝している。さらに、1985年には開場25周年の記念行事として、日本女子オープンを袖ヶ浦コースで開催し森口祐子プロが優勝している。

 さらに、袖ヶ浦コースでは1974年からブリヂストンオープンが開催され、新袖コースでは2010年からニチレイレディスが開催されており、男女プロトーナメントが毎年開かれているのは当クラブの特色の一つとなっている。

 また、日本ゴルフ協会や関東ゴルフ連盟、千葉県アマチュアゴルフ協会等が主催するアマチュア競技についても積極的に受け入れている。

甚大な台風被害

 2019年9月千葉市に台風15号が上陸し、千葉県内全域に大きな被害をもたらした。当クラブは両コースで3500本を超える倒木被害を受け、停電も発生し当クラブ開場以来最大の被害となった。

 その後もブリヂストンオープン期間中に上陸した台風19号の影響により大会3日目と最終日が中止となり2日間競技となった。

 さらに2週間後には台風21号が関東地方を襲い各地に大雨をもたらし、当クラブも両コース内外で多くの土砂崩れが発生した。

 しかし、災い転じて福となすという掛け声のもと、強力に復旧を進め、最上質なコースに向けて整備している。

会員親睦友好の場として

 ハード面でのコース整備は勿論大切だが、ソフト面での会員親睦友好の場としての充実も必要である。クラブ内競技はかなりの頻度で開催され、新入会員歓迎懇親ゴルフ会、ファミリー競技といった会員親睦の場も多く提供されている。加えて最近ではクラブライフの更なる向上に向けて、ティーフリー競技(自由にティーイングエリアを選択でき、老若男女が一緒に楽しめる競技方法)や所属プロによるワンポイントレッスンなど会員に楽しんでもらえる企画を始めた。また、今後はコースのみならずドライビングレンジやアプローチ練習場、バンカー練習場といった練習施設をより充実させ総合的なゴルフライフの向上を目指していく計画である。